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    大震災。

    • 2011.04.29 Friday
    • 22:55
     ヒートです押忍。
    こんな事態を誰が想像できただろうか…
    観測史上最大のM9、なんて馬鹿げたパワーの地震からひと月半。
    みなさん大事ありませんでしたでしょか。
    ある程度時間ができたので、これまでのことを、ちょっと書いてみる次第。










    3月11日、金曜日。

    前日に無双6が発売されて、そのせいでかなり寝不足気味でした。
    かつその日は職場の飲み会もあって朝からかなりダルダルな感じで
    「はやく帰りたいなー」なんて思いながらいつもどおりに仕事をこなしてたわけなんですけども。



    14時46分。まさに突然、それはやってきました。


    そろそろ休憩だなー。と思いつつちょっと手を止めてコーヒーをちびちびやっていると


    「あ、地震だ」


    わりと強めの揺れではあるものの、このくらいすぐおさまるだろう…
    そう思っていたが、なかなか収まらない。
    それどころかどんどん、激しくなってくる。


    「外に出よう!」


    先輩に促されすぐさま外へエスケープ。
    この間にも揺れは勢いを増して、釣り下げられた看板が地面にたたき落とされてたり。


    外に出た瞬間、揺れは最高潮に達しました。
    まともに立っていられないほどの激震。
    まるで大地がシェイクされてるような感覚。
    激烈な音を立てて暴れる建屋(工場勤務なのです)
    揺れからくる視界の激しいブレ。
    (映画にあるハンドカメラで撮影してて激しく動いてる感じ)
    まるで現実の光景とは思えませんでしたな。


    すでに脱出していたので命の心配はしなかったが
    (家とか、どうなってるんだろう)
    なんて考えが頭をよぎりました。



    幸いになことにケガ人も出ず一安心していると、今度は「津波」の警報が。



    津波?
    そんなバカな。海で地震が起これば津波が起こる、なんてのは当然知っているけど
    ここに、茨城に津波が来るなんて考えられなかった。地震もだけど。
    だって、この何十年、ここには天災がなかったし、これからも起こることは
    ないだろうって思ってたし、阪神や新潟やスマトラ沖のニュースを見たときも
    完全に関係なかったし他人事だった。



    まさか自分たちの土地にこんな災害がおこるとは。



    上の人たちも初めての自体に困惑しながら、津波に備えて高台へ全社員、
    避難したわけですが。着の身着のままなうえに寒い日だったので震えっぱなし、でした。
    30分後くらいに津波到達。
    見ることはかなわなかったが川には津波の遡上したあとがクッキリ。


    「マジかよ…」


    ほんとに別の世界に放り込まれたような感じでしたな。






    警報が去って工場へ戻ると違和感が。なんか静かすぎる。
    そう、電気が止まってたんですね。
    ここには福島第一、第二原発から電気が引かれてました。
    そのときはあんなことになっているなんて知る由もなかったけど。



    家の方は問題ありませんでした。物が少々落ちたくらいであとは全然。
    地盤が強いんじゃないか、なんて周りの人は言ってましたな。
    ライフラインは全滅したらしく、電気はつかねえ、水は出ねえ、おまけにガスも出ねえと
    ないないづくし。防災用のアイテムなんて望むべくもなく
    あるのは電池の切れかかった古い懐中電灯のみ…しかも電池のスペアなし。
    ロウソクもあることはあるが少ない。


    この状況で夜を迎えたわけですが、その闇の深いこと。
    街灯も消えてるし、見えるのは月明かりだけ。あたりも深夜みたいに
    静まり返ってておっかない。まだ夕飯どきなのに。
    暖房もムリなので部屋は冷える一方。
    さらにそこへ5分に1回くらいの割合で余震が起こる。
    たまったもんじゃなかったですよ、ええ。


    本当なら今頃は飲み屋にいるはずなのに。
    どうしてこんな暗い部屋で震えているのか…
    いまだ混乱が頭を支配する中、明け方に就寝。




    そこから日常は一変し、新たなステージへすすむのでした。






    このあとは物資の調達だの会社の復興だのいろいろあったのですが
    長くなるので書きません。
    もう十分、ながいし(゚Д゚;)



    この震災に思ったことをつらつらと。



    なんというか…ハンパに被災したせいで、東北地方の惨状ばかりが
    テレビに流れて、俺たちの住む茨城は蚊帳の外、みたいな感じでした。
    人に会うと、世間話の前にかならず自分たちの被害を皆、口々に報告しあい
    家を流された人たちに比べれば…
    津波にのまれた人たちに比べれば…で締める。
    そんな流れがはやってましたね。しばらくは。
    そう言うことで、自分たちが受けた心のダメージを軽くしているようにも聞こえました。


    確かにその通りだとは思うが、
    今にして思えば、
    向こうがひどすぎるだけで、こっちもそれなりにやられてんじゃないの?
    とも思いますが。


    そして何と言っても地震が呼んだ最悪の災害が、原発のメルトダウン。
    今も一進一退の状況が続いてます。
    お上がもたらす報告は曖昧で、安全を声高に叫んでるけど、
    ネットを見ると全然そんなことなくて。「危険だ!」と。
    意見が真っ二つに割れてて、
    どっちを信じればいいのかわからなくて苦しんでたりましたな。



    もうひと月半、経つが一向に状況は進まず…
    しかし事態の終息には半年くらいかかるらしく。
    その間にどのくらい、ヤバい物質が飛び散っていくのか…そこが心配です。
    離れてるから安全とか、そういう問題じゃなく。あれを抑えない限り世界からも
    避けられるわけだから、将来的にも元通りになるのがどんどん遅れるし、ね。
    (つーかニュースで花粉みたいな扱いで放射線情報流してるなんて異常過ぎるだろ…)








    自分たちの謳歌してた平和や快適さっていうのは、じつはすごく脆いんだな
    ということを痛感しました。
    食料も、エネルギーも、物資も、供給が止まれば本当に簡単に困窮してしまう。



    確実に災害に対する価値観は変わった。
    このような災害に備えて日ごろから意識を高めなければと思いました。
    それは皆さんにも言えることなんじゃないでしょか。
    こんな事言うとアレかもだけど、
    少しでもポジティブにこの災害を解釈するなら、
    「教訓」みたいなものをご教授してくれたのかなと。
    ハンパではない授業料でしたがね。


    身の回りでは6割くらい、元通りになってきましたがここからが長い。
    地震、原発含め今後の動向に注意してやっていきましょうか。
    出来ることは少ないけど、「いつも通り」をやることも無駄じゃない。
    そしていつか、また平和な日常に戻ることを今は願います。




    というわけで今回はここまで。
    最後に、今回の災害の犠牲者のみなさんのご冥福をお祈りいたします。
    どうか安らかに…。

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